近い将来、日本で漢方薬が使えなくなるかもしれません。原料となる生薬は需要が高まる中、野生植物の採取による資源の枯渇や、後継者不足などの様々な課題があり、約90%以上を海外からの輸入に頼っています。
持続可能な生薬の供給が求められる今、これらの資源を守り、次世代へと引き継ぐためには何が求められているのでしょうか。
この記事では、九州医療科学大学の渥美聡孝准教授に、持続利用可能な生薬の供給に関する課題と、最新の科学技術を融合させた研究事例について独自インタビューさせていただきました。
九州医療科学大学 薬学部
渥美聡孝(あつみ としゆき) 准教授
金沢大学薬学部を卒業後、金沢大学大学院医薬保健総合研究科にて博士(創薬科学)を取得。
2007年より昭和大学薬学部にて助教を務め、2012年に九州保健福祉大学薬学部薬学科助教に就任。2022年より九州医療科学大学(2024年から九州保健福祉大学から改称)薬学部薬学科准教授を務める。
研究分野は生薬学・薬用資源学。
近著・論文(共著・編著含む)として「漢方生薬ボウイ調達の現状と持続的な供給に向けた課題」(2024年)、「中国におけるサフランの栽培・生産状況」(2022年)、「宮崎県におけるシソの大規模栽培および生薬・機能性食品資源の調査」(2021年)など。
国内自給率10%の「生薬」国産化が求められる理由とは
TLG GROUP編集部:はじめに、渥美先生が研究されていることについてお伺いできますか。
渥美准教授:私は生薬学や薬用資源学という分野に関する研究をしています。平たく言うと、漢方薬の原料についての研究で、研究テーマは医薬品である生薬を国内で安定的に生産・供給することです。
具体的には、生薬の栽培現場に行って生産者と一緒に作業し、そこで見つかる課題を解決する方法を考えています。
TLG GROUP編集部:なるほど。渥美先生は、実際にご自身の足を運び、生産者側の声を聞いて研究を進めていらっしゃるのですね。最近はどんな生薬の現場に行かれたのですか。
渥美准教授:最近だと、「シャクヤク」という生薬の収穫を行いました。
これはトラクターで「シャクヤク」の根を収穫している様子です。シャクヤクと言えば「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美しい女性を表す言葉にも使われますが、薬用植物としてもシャクヤクの根はとてもよく利用されています。
TLG GROUP編集部:この「シャクヤク」にはどのような薬効があるのですか?
渥美准教授:冷え性などの婦人病のお薬として使用します。また、高齢の患者さんが夜に足がつることがあるのですが、筋肉の痙攣を鎮めたり痛みを抑えたりする働きもあります。
TLG GROUP編集部:かなり広い範囲に効くお薬なのですね。
渥美准教授:そうですね。ちなみに、葛根湯にもシャクヤクが入っているのですよ。
TLG GROUP編集部:そうだったのですね。お花のイメージが強いので、少し意外でした。
渥美准教授:はい。日本では3番目くらいに使われている薬用植物です。
TLG GROUP編集部:動画を見るだけでも大きな根なので、収穫作業が重労働であることが分かります。
その漢方薬の原料となる生薬について、現在日本の自給率が10%にとどまっており、海外からの輸入に依存していると聞いたことがあります。海外輸入に依存することによる問題点について教えてください。
渥美准教授:生薬は約9割を海外からの輸入に頼っていることがまず問題です。
つまり、国内の自給率が低いことと、海外への依存度が高いという2つの面の不安要素があります。
TLG GROUP編集部:なるほど。国際情勢の影響も大きく受けてしまいますね。
渥美准教授:はい。国際情勢の急激な変化があれば、輸入の状況や価格が不安定になります。
例えば、コロナの時期には海外からの船がなくなり、通常なら入ってくるはずの生薬の輸入が遅れたことがありました。
さらに言うと、「カントリーリスク」というのもあります。例えば10年ほど前に、外国との軋轢が問題で、工業製品の製造に重要なレアアース*の輸入が制限されたことがありました。
当時も、日本はレアアースのほとんど全てを海外からの輸入に頼っていましたので、急に輸入が止まると工業界も非常に困ってしまう事態に陥っていました。
TLG GROUP編集部:漢方薬やその原材料である生薬も、レアアースと同様のリスクを抱えているということですね。
渥美准教授:そうです。漢方薬や生薬は医薬品で、国民の健康を守るために安定した供給が必要です。
しかし、何かの理由で海外から輸入できなくなれば、国民の健康にも影響が出てしまいます。
さらに、今、国内で生産がある生薬でも一度生産が途絶えてしまうと、その生産方法が分からなくなってしまいます。
だからこそ、国内である程度の生薬を生産できる体制を作り、海外依存を少しでも改善したいと考えています。
TLG GROUP編集部:なるほど。国内生薬の需要が高まっている背景には、そういった事情があったのですね。
海外輸入に依存している現状以外にも、国内生産の需要が高まっている理由があれば教えてください。
渥美准教授:生薬供給の海外依存から脱却を目指していることはもちろんですが、漢方薬の使用量が年々増加していることも理由の1つです。
現在、日本では80~90%の医師が漢方薬を使っています。さらに、その使用量は年々増えてきているのです。
例えば、月経痛などの症状は、西洋医学の薬では一時的に痛みを取ることはできても、根本的な解決は難しいとされています。一方、漢方薬は根本治療に近く、症状の緩和に役立つのです。
西洋医学が苦手な領域で漢方医学が得意な領域もあるため、補完代替医療としての漢方薬のニーズが上がり、それに伴って国内生産の需要が高まるようになりました。
TLG GROUP編集部: では、需要が高まっているにもかかわらず、国内生薬の生産量が増加しないのはなぜなのでしょうか。
渥美准教授:理由はいくつかあります。1つは、薬用作物の多くは栽培期間が長く、新規参入が難しいからです。
例えば、冒頭でお話したシャクヤクは収穫まで4年かかります。一方、普通の野菜なら半年や1年で収穫可能です。
つまり、薬用植物を新たに栽培する農家は、野菜の栽培と比較して収益を得るまでに時間を要することが多いです。
また、薬用植物は園芸店に行って手に入るものではありません。このように、「どこから薬用植物の種苗を手に入れれば良いのか分からない」という点も新規参入が難しい原因の1つだと思います。
TLG GROUP編集部:なるほど。収益を得るまでに時間がかかり、生薬の栽培を始めるハードルが高くなっているのですね。
渥美准教授:そうです。最近は使える農薬が増えてきたものの、普通の作物と比べて薬用作物は使用できる農薬が少ないのも、生産者が苦労する原因になっています。さらに出荷前には洗って乾燥させたりする必要があります。
スーパーに並ぶような野菜であれば洗ってすぐに出荷できますが、多くの生薬は乾燥させてから出荷します。必然的に人力での作業や、かかる時間が増えます。
また、含有する成分の確認も必要なので、市場に出すためにも手間がかかります。
薬用植物は通常の野菜と違い、市場に流通させるためにメーカーや問屋さんとの直接取引が必要です。これも、生薬の栽培を始めるハードルを高くする要因になっています。
TLG GROUP編集部:栽培の難しさに加えて、売りに出すにも手間かかるとなると、さらに新規参入が難しくなってしまいますね。
渥美准教授:はい。さらに農業の高齢化も影響しています。現状では、生薬の国内生産量は効率化により何とか横這いを保っています。
しかし、生産者が減っていく一方で新しい担い手が少ないため、このままではどうしても国内生産が減少してしまいます。
なお、一点注意しておきたいのが、国内生薬は生産者が減っているものの、生産量は横ばいを保っているということです。
現在は生産効率を高めるために機械化も進んでいます。そのため、生産者の人数は減少傾向ではあるのですが、生産効率は上がっており、生産量自体は保てているのですが、やはり生産者の数は必要です。
TLG GROUP編集部:ありがとうございます。国産生薬が減少の危機に瀕している理由には、後継者不足以外にも、栽培や流通面にも課題があることが分かり、大変興味深いお話でした。
では、国産生薬を増やすためにはどのような策が必要でしょうか。 具体的な取り組みについてお考えをお聞かせください。
渥美准教授:国産生薬を増やすためには、まず生産者の窓口を広げるためのさまざまな施策が必要です。
先ほどもお話ししましたが、薬用作物栽培は新規参入が非常に難しい状況です。
いくつかの理由を挙げましたが、そのハードルを乗り越えるために、生産を始めてしまう前に、生産者と僕ら専門家が話し合う機会が必要であると感じています。
薬用植物には生産者だけでは解決できない、理解が難しい特殊なルールがあります。そういったものを生産者が一から勉強するのは大変ですから、私たちのような専門家が解説する機会が増えれば良いと考えているのです。
もう1つは、資金支援の部分です。
例えば、収穫機械やトラクターなど、大規模な機械を導入するための費用もかなりの負担になります。農業を専業とされている方は、自然災害のリスクなどもあり収入が安定しないこともあります。
そのため、収穫機のアタッチメントなどの機械費用が高額になると、どうしても購入が難しいという現状があります。こういった機械への補助金や、生産者が団体として機械を持つという方法も有効かもしれません。
今なお続く薬用植物採取の現状と課題
TLG GROUP編集部:生薬の収穫について、栽培の他に、一部野生採取があるとお聞きしました。栽培化に至らず、現在も野生採取が続く背景についても教えていただけますか。
渥美准教授:近年、生薬の多くは栽培品に移行が進められています。しかし、いくつかの生薬は今でも野生から採取されています。
例えばドクダミやゲンノショウコ、ドクダミといった薬用植物は、これまでは採薬人(野生薬用植物を採取する人)という野生のものを集めてくれる人がいましたが、シカ・イノシシの獣害が多いこと、採薬人の高齢化で収穫量は今後減っていく可能性が高いです。
ここからはオオツヅラフジ(生薬名:防已)という植物に焦点をあてたいと思います。利水作用のあるオオツヅラフジは、野生採取されている薬用植物の1つです。オオツヅラフジはツル性植物で、主にスギやヒノキなどの人工林の中で、それらの樹木に絡まって生育しています。
多くの薬用植物は、過去には野生採取されていても、継続的に採取するために栽培化が行われてきました。しかし、このオオツヅラフジは出荷可能な太さになるまで20年ほど時間を要すると考えられているため、野生に頼らざるを得ません。
TLG GROUP編集部:出荷までに20年かかる作物の栽培は、確かにかなり厳しいですね。
渥美先生も採取作業に参加されたと伺いましたが、野生薬用植物のオオツヅラフジ採取において、実際に直面している問題点をお聞かせください。
渥美准教授:オオツヅラフジは、道路沿いの採取しやすい場所は過去にほぼ取られていて、野生資源が少なくなっています。今では深い山の奥まで1時間以上歩かないと採取できません。
また、実際の採取現場では、72歳のおじいさんが収穫した30kg近くのオオツヅラフジの束を背負って山を下りているような状況で、非常に過酷です。こうした身体的負荷や搬出時間の問題が大きな課題となっています。
先述のとおり、オオツヅラフジの自生地が、昔は道路際にあったものが山の奥まで行かないと見つからないことが多くなっていますので、見つける手間や採取後の負荷は年々高まっているといえます。
TLG GROUP編集部:今後も継続して採取を行うのは、難しいということですね。
では、野生薬用植物の採取を続けることにより、今後どのようなリスクがあると考えられますか。
渥美准教授:野生採取に頼るだけでは、資源枯渇のリスクがあります。
現在のままでは需要に追いつかないので、自然環境に近い状態で管理する「粗放栽培」という形で栽培し、少しでも安定的に供給できるように試みています。
例えば、今回紹介したオオツヅラフジも2年ほど粗放栽培に挑戦しています。草取りや施肥などの積極的な栽培をするのではなく、苗の定植だけは人が行うけれど基本的には放置をして、「年数が経過したら収穫に行く」ということができないかを試しています。
また、先にお話しした通り、野生のオオツヅラフジ採取は身体的な負荷が大きいというのも問題の1つです。
実は、オオツヅラフジはその採取だけで生活できるような金額では取引されていません。今は全国的に最低賃金も上がっていますし、労働力不足ともいわれていますから、他の仕事をする人が多くなれば、採薬人自体がいなくなってしまうでしょう。
このように、オオツヅラフジの採取には多くの課題があります。その中でも1番の課題は「見つけられない・見つけにくい」ということです。
先ほどもお話したように、見つけやすい場所にあるオオツヅラフジはすでに採取されてしまっています。新たにオオツヅラフジを見つけるには山の奥まで長い時間をかけて行かなければなりません。
このように、野生薬用植物が見つけにくくなっている一方で、漢方薬・生薬の需要は高まっています。
この状況を解決するためにも野生採取の課題は早急に解決しなければなりませんが、栽培に時間がかかるという性質上、なかなか難しいというのが現状です。
GISを活用した薬用植物生育地の可視化
TLG GROUP編集部:現在、渥美先生はGIS*を活用した取り組みについて研究していると伺っております。
今後も野生の薬用植物を持続的に利用するために行われている、GISを活用した研究について教えてください。
渥美准教授:野生の薬用植物には「見つけにくい」という非常に大きな問題があります。
植物に詳しい人たちは「この植物はこういう場所に生えているだろう」という感覚がありますが、あくまで主観的なものです。
そこで、客観的な指標を示すためにGISを使っています。
例えば、オオツヅラフジの生育地についてGISを活用して調べると、一定の傾斜角度が必要だったり、河川からの距離が近かったり、最低気温がマイナス1度以上でないと生育しにくいといった条件が見えてきます。
また、オオツヅラフジは現時点では南向きの場所に多く見られることがGISによる調査で明らかになっています。
これらの条件を数値化することで、専門家が経験的に感じていた情報を、客観的に確かめられるようになったのです。
TLG GROUP編集部:さまざまな生育条件と地理情報を分析した結果、生育環境や基準が明確になり、自生地を探しやすくなったということですね。
それでは、GISを活用して得られたデータは、どのように活用されているのでしょうか。
渥美准教授:実際に採取したポイントを記録して、GISを活用して得られた日照時間や地質、植生などの条件と重ね合わせてマップを作成し、「生育ポテンシャル評価」を行っています。
図上で濃い紫色で示されている場所が、オオツヅラフジが生育する可能性の高いエリアだと予測できます。
図で示した生育地のポテンシャル評価はまだ試行段階ですが、現地調査の結果では、濃い紫で示された多くの場所でオオツヅラフジを確認しています。
TLG GROUP編集部:薬用植物の自生地について、データに基づいた予測によって、現地で植物を探す時間を大幅に短縮できるのですね。
では、GISを使った薬用植物の研究をさらに応用することで、今後どのような新しい可能性が広がるとお考えでしょうか。
渥美准教授:今回はオオツヅラフジに焦点をあててお話していますが、GISはオオツヅラフジ以外の野生薬用植物全般に応用可能な技術です。
この技術で描画したマップを活用することで「オオツヅラフジをはじめとする野生薬用植物を見つけにくい」という課題を解決できるのではないかと考えています。
このことはオオツヅラフジなどの採薬人にとって画期的な技術になり得ます。
次に、「粗放栽培の候補地選定」に使えると考えています。例えば図で示したマップは、オオツヅラフジに対する生育地のポテンシャルを示すもので、もし自生がなかったとしてもそこに苗や株さえあれば生育しやすい可能性があります。
そのため、先述の「粗放栽培」を開始する時の候補地選定にも活用できると考えております。現在行っているオオツヅラフジの試験栽培の際には生育地ポテンシャルの高い地域を選んで苗を植えました。現在も定期的に試験地を訪問し、生育状況を確認しています。
つまり、GISの活用は自生地の予測以外にも、栽培に適した場所を見つけるツールとしても非常に役立つと考えられます。同様に、他の野生薬用植物にも応用できる技術として研究を進めていきたいと思っています。
TLG GROUP編集部:ありがとうございます。それでは最後に、インタビューを読んでいる方に向けてメッセージをいただけますでしょうか。
渥美准教授: 生薬の生産現場は、生産者数も減っていることもあり、なかなか厳しい状況であると思います。
先ほどお話ししたように、実際の現場では、72歳のおじいさんが採取した30キロの植物を抱えて、舗装されていない危険な山道を降りてくるのです。
そうして得られた生薬を、我々薬剤師や医師が使わせていただいている状況です。製剤化され、包装された状態だと生産者の顔は見えませんが、その裏にはたくさんの人たちの汗や苦労が隠れています。
生産者たちは、患者さんたちのからだが良くなることを願いながら、今日も山に登っていると思います。
ぜひとも、医療従事者を始めとした漢方薬を扱う方々や、それを飲まれている方々には、漢方薬を大事に使っていただきたいと思います。
まとめ
TLG GROUP編集部:本日はお時間をいただき、ありがとうございました。渥美准教授にインタビューして、下記のことが分かりました。
- 渥美准教授は実際に生産現場に足を運び、持続可能な採取方法や、生薬の採取・栽培に関するさまざまな課題について研究されている
- 生薬の自給率は1割で、ほとんどを海外に頼っているため国際状況の影響を受けやすく、価格や輸入量が不安定になる恐れがある
- 生薬の国産化には栽培研究の推進、栽培農家への補助・連携が不可欠
- 栽培コストが高い生薬は野生からの採取に依存しており、資源の枯渇が懸念されるため粗放栽培などの検討が重要
- GISを活用し、薬用植物の自生地の地理的条件を明らかにすることで、採取にかかる時間短縮や、栽培化の場所選定に応用できる
本インタビューで、渥美准教授の研究が生薬の国産化や、持続可能な利用にとって非常に重要であることがわかりました。
薬用植物の生産現場には、多くの人たちの努力や思いが込められています。生薬の需要が拡大する中、栽培や供給にさまざまな課題を抱えていることは、次の世代の担い手である我々が知るべき現状です。
また、生産者と連携し、GIS技術を活用して栽培地や採取地の効率化を目指すことで、生薬供給の安定が期待されます。
国際依存のリスク軽減や持続的な生薬供給のための技術開発が、今後も注目されるでしょう。
写真・動画提供:九州医療科学大学 渥美聡孝准教授
取材・文:TLG GROUP編集部
記事公開日:2024年12月25日