清泉女子大学 桃井治郎 教授【歴史の海を渡る!海賊とともに見る「もうひとつの世界史」】

清泉女子大学 桃井治郎 教授に独自インタビュー

海賊が織り成す物語には、冒険と略奪だけでなく、教科書にも載っていない意外な歴史の真実が隠されています。

単なる海の無法者ではない、時に歴史の潮流を変える鍵でもあった海賊たちの複雑な役割とその影響力に興味を惹かれる方も多いでしょう。

この記事では、清泉女子大学の桃井治郎教授に、海賊とともに見る「もうひとつの世界史」について独自インタビューさせていただきました。

桃井治郎教授の紹介
清泉女子大学 桃井治郎 教授

清泉女子大学 文学部 文化史学科
桃井治郎(ももい じろう)教授

筑波大学第三学群社会工学類を卒業後、中部大学大学院国際関係学研究科博士後期課程を中退、博士(国際関係学)を取得。

2005年より中部高等学術研究所にて研究員を勤め、2008年より在アルジェリア日本国大使館の専門調査員(政務・経済)に着任。その後、2011年より中部大学にて専任教員となり、2019年より現職。

専門分野は西洋史、マグレブ地域研究、平和学。

主な著書・論文として、『海賊の世界史:古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで』(中公新書、2017年)、『アルジェリア人質事件の深層: 暴力の連鎖に抗する「否テロ」の思想のために』(新評論、2015年)、「フサイン朝チュニジアにおけるムスタファ1世ベイの統治期(1835-37年)―オスマン帝国によるトリポリ直接統治とその影響―」『清泉女子大学人文科学研究所紀要』(2023年)など。

海賊の実像と背景

TLG GROUP編集部:海賊は冒険者や財宝探しの象徴として描かれたり、暴力的でネガティブなイメージがあったりと、両極端な印象があるように思います。実際の世界史における海賊の生活や行動はどのようなものだったのでしょうか?

桃井教授:そうですね。実は、「海賊」と言っても、時代や地域ごとにそれぞれ特徴があり、ひとくくりにまとめることは難しい側面があります。

例えば、海賊に当たる英単語としては、「パイレーツ」が一般的ですが、他にも「バイキング」や「バッカニア」、「プリヴァティア」、「コルセア」など、さまざまな呼び名があります。

TLG GROUP編集部:なるほど。では、時代によってどのような違いがあるのか教えていただけますか?

桃井教授:ディズニーなどで有名な「カリブの海賊」を例にとると、17世紀後半から18世紀初頭にかけて、彼らの存在意義や扱いががらりと変わります。

16世紀から17世紀までのカリブの海賊は「私掠」と呼ばれる活動が中心でした。これは、戦争中に国家から交戦国の船や都市を襲う許可を得て略奪を行う海賊だったのです。こういった海賊は、「プリヴァティア」と呼ばれます。

こういった海賊が生まれた背景には、当時起きていたスペインとヨーロッパの国々との争いがあります。

もともと15世紀末から16世紀にかけて、カリブ海地域に進出したスペインに対し、周辺のイギリスやフランスやオランダが対抗しました。その背景には、カトリックとプロテスタントの宗教対立もありました。

今の我々が考える戦争は軍隊同士の戦いですが、当時は常設の海軍が未整備であったため、さきほど言ったプリヴァティアという私掠船が交戦国の船や沿岸の町を襲うという形で戦争に加わっていました。このような背景から、海賊行為が国によって認められていたのです。

TLG GROUP編集部:それが17世紀以降はどのように変化したのですか?

桃井教授:17世紀に入ると、イギリスが勢力を拡大してカリブ海や北米大陸に植民地を持つようになります。そうすると、イギリスにとって今度は海賊が自国の商業活動を妨げる有害な存在になっていくのです。

さらに18世紀に入り、大西洋におけるイギリスの三角貿易が本格化すると、カリブの海賊はますますそうした経済活動を妨げる存在として疎まれるようになっていき、最終的に排除の対象となるのです。

このように、同じカリブ地域の海賊であっても、時代背景によって姿は変化しています。

TLG GROUP編集部:時代によって海賊が正義か悪かが一転する、というのは印象的ですね。16世紀から17世紀にかけての国家に支援されていた海賊は、私たちが想像する自由なイメージとは程遠いものだったのでしょうか?

桃井教授:そうですね。当時の海賊は、今の私たちの感覚とは違って国家公認の存在でした。また、当時は海賊と冒険航海者との間にはほとんど区別はありませんでした。

例えば、イギリスのフランシス・ドレークは、スペインのマゼラン艦隊に次いで人類史上2番目に世界周航を行った人物ですが、彼は航海の途中でスペイン船やスペイン植民地で略奪を行った海賊でもありました。

当時、船団を編成して航海にでるには莫大なお金が必要だったので、航海はある種の投資プロジェクトとして扱われていました。

貴族や商人などさまざま人が出資したお金で、フランシス・ドレークも航海をしました。ドレークのもたらした利益は莫大だったので、出資者たちは大きな利益を手にしたのです。例えば、当時のイギリス女王エリザベス1世も出資者の一人だったため、その利益によって王室財政を立て直し、レヴァント会社を設立するなどイギリスの経済発展の基礎を築いたとも言えます。また、この功績によって、ドレークは騎士に叙勲されました。

TLG GROUP編集部:今の世の中でそういう構造があると、批判を受けてしまいそうですが、当時はそれが受け入れられていたのですね。

桃井教授:そうですね。当時は国際法もなく、世界各国が協調して海賊を取り締まるような国際的な規範は存在しませんでした。

戦争中に民間の船を襲ってはいけないという国際法が成立するのは19世紀に入ってからなので、それまでは戦争中の略奪行為は正当化されていたのです。

TLG GROUP編集部:ありがとうございます。ちなみに、16世紀以前の海賊はどのような存在だったのでしょうか?

桃井教授:そもそも近代以前は、戦争になると攻略した都市の財産を略奪することは常識的な行為でした

今でこそ戦時国際法ができて、戦時の略奪行為は禁じられていますが、それまでは海賊に限らず、戦争には略奪はつきものだったのです。

例えば、中世の十字軍やイスラム勢力による征服活動でも、宗教的名目を掲げつつ、海賊行為や略奪行為は頻繁に起こっていました。

海賊の活動と歴史文化への影響

TLG GROUP編集部:時代ごとに異なる特徴を有している点は非常に面白いですね。ちなみに、世界史に影響を与えたような海賊というと誰が挙げられますか?

桃井教授:やはり一番は先ほども名前を挙げたイギリスのフランシス・ドレークではないでしょうか。

彼は航海士でもありましたが、世界周航の道中、略奪行為を繰り返していました。この時の戦利品は当時のイギリス王室の年間予算を超える額だったと言われています。

一方、繰り返される海賊行為に腹を立てたスペインは、ドレークの引き渡しをイギリスに求めますが、エリザベス女王はそれに応じません。そのため、スペインは艦隊を送ってイギリスの征服を図ったのです。

これが後に世界史上の大きなターニングポイントとなった「アルマダの海戦」です。ドレークは、アルマダの海戦でイギリス艦隊の副司令官としてスペイン艦隊を打ち破るのです。

当時のイギリスはスペインに比べて弱小国だったのですが、海賊たちの優れた戦いもあってスペイン軍によるイギリス上陸を防いだのです。そのため、今でもドレークはイギリスを守った国民的ヒーローとして英雄視されています。

もしスペインがイギリスを征服していたら、その後の世界史は大きく変わったはずです。そう考えると、そのターニングポイントで活躍したのがドレークという海賊であったことは興味深いと思います。

TLG GROUP編集部:確かに、無敵艦隊のエピソードは世界史の授業でも聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。

ドレークは今でも国民的英雄として慕われているというお話でしたが、反対に今でも悪名高い海賊というと誰が挙げられるのでしょうか?

桃井教授:そうですね。一般に海賊のイメージは、港で飲んだくれていたり、暴力的に略奪を行ったりする荒くれ者としての海賊ではないでしょうか。

ディズニーランドのアトラクションに出てくる海賊たちをイメージすると分かりやすいと思うのですが、そういった荒くれ者のカリブの海賊のことを「バッカニア」と呼びます。

彼らは、17世紀から18世紀にかけて活動した海賊でした。

TLG GROUP編集部:なるほど。バッカニアになるのは、どういった人びとだったのでしょうか?

桃井教授:17世紀や18世紀の大洋航海は非常に危険で、船員たちは病気や栄養不足あるいは嵐など様々な理由で命を落としかねない状況でした。例えば、西アフリカからカリブ海に渡る大西洋航海では、船員の1割から2割が命を落としていました。

そのような危険な航海で水夫を務めていたのは、本国で借金を背負って身売りされるような非常に貧しい人たち、つまり下層社会の人びとでした。

船内での水夫の扱いというのは非常に過酷で、船長に歯向かったら鞭で打たれたり、まともな食事が出されずに栄養不足に陥ったりと酷いものでした。また、カリブ海地域の農園で働く人たちも同じく貧困層の人びとでしたが、彼らの扱いも水夫と同様に酷いものだったのです。

このような扱いに耐えかねた人びとの中には、そうした状況から抜け出し、自ら進んで海賊になった人たちもいました。ですので、海賊のコミュニティは平等性を重視しました。自分たちでルールを定め、船長を選んだり、時には町の指導者を選んだりということもしていました。こうして形成された共同体を「海賊共和国」と言うこともあります。当時のヨーロッパが身分制社会であったことを考えると、海賊のコミュニティは非常に独特なものでした。

TLG GROUP編集部:投票によって船長が選ばれていたというのは驚きです。海賊は私たちが想像しているよりも、ずっと公平で民主的な組織だったのですね。

桃井教授:そうですね。例えば、バーソロミュー・ロバーツという18世紀の海賊が定めた掟では、船長の取り分は水夫の2倍までというような規定も残っています。海賊船というと、船長が宝を独占するというイメージを持っている人もいると思いますが、実際には当時の海軍や商船の方が厳しい格差社会で、海賊の方はむしろ平等社会だったのです。

私たちが知っている黒髭(エドワード・ティーチ)やアン・ボニーのようなカリブの海賊たちも、そういった身分制社会から逃れたはぐれ者で、自分たちのコミュニティでは自由や平等というものを非常に大切にしていました。

私たちが海賊に魅力を感じるのは、そういった既存秩序への反逆や自由への憧れといった点であるように思います。

TLG GROUP編集部:海軍や商船の方が一般にイメージする海賊社会に近いということに驚きました。

桃井教授:そうですね。例えば、船ではマストに上ったり、帆を張ったりするなど危険な作業で怪我をしてしまうことがあります。

怪我をして手や足が不自由になってしまうと、商船の水夫としては働けなくなってしまいますが、けがをした水夫は港に置き去りにされてしまうのです。

ところが、海賊たちは、怪我の具合に応じてお金を支給する掟を作っていたのです。つまり、今で言う健康保険のような制度を自分たちで作り、いざという時のために自分たちの身を守っていたのです。

このように、海賊は一つの組織として自助的な秩序を保っていたとも考えられます。

TLG GROUP編集部:先ほどの掟の話もそうですが、明確なルールを基に組織が構成されていたのですね。ちなみに、海賊船における組織はどのような特徴を持っていたのでしょうか?

桃井教授:先ほどもお話したような海賊たちが自由に活動している時代は、誰が船長になるのかなども含め、重要なことは投票で選んでいたのです。ですから、船長が横暴なことをすればその座をはく奪することもあって、海賊のコミュニティでは比較的平等な社会が築かれていました。

もともと海軍や商船などで船長に逆らうと鞭で打たれるような酷い扱いを経験してきたこともあって、自分たちの間では平等な組織を作ろうという意識が共通していたのだと思います。

また、海賊が商船を襲った時に、その商船の船長が船員たちを真っ当に扱っていたということがわかれば、船長の命は助け、見逃してあげたというエピソードも残っています。

TLG GROUP編集部:同じ境遇にいたからこそ生まれた共通の価値観が、そういった海賊の組織を作り上げていったのですね。このような組織づくりを含め、海賊の活動が歴史や文化に与えた影響などはあったのでしょうか?

桃井教授:国籍や民族に囚われずに世界的な意識を持つ人を「コスモポリタン」と呼びますが、海賊文化はそこと繋がっているような気がします。

カリブの海賊でも、イギリス人だけではなく、フランス人やオランダ人、アフリカ系の人など、さまざまなルーツの人が集まっていました。当時としては珍しい国際的な文化が育まれていたとも言えます。

さまざまなルーツを持つ文化がカリブ海に流れ込んで「クレオール文化」が生まれましたが、カリブの海賊はそのひとつの源泉ではないでしょうか。

TLG GROUP編集部:ありがとうございます。個人的に、海賊には暴力性や残忍なイメージばかりを持っていたのですが、今回のお話を聞いて海賊の二面性とその魅力を知ることができました。

海賊史研究の魅力

TLG GROUP編集部:海賊の歴史について様々なことをお話していただきましたが、海賊史を学ぶ上で先生がどのような点に魅力を感じているか教えていただけますか?

桃井教授:海賊史を学ぶ魅力の一つは、通常とは異なった視点から世界史を見ることができることだと思います。

一般に西洋史を勉強すると、どうしてもヨーロッパを中心としたヨーロッパからの視点、あるいは王様などの支配者からの視点に偏ってしまいがちです。

しかし、例えば、北アフリカからヨーロッパの歴史を眺めてみたり、国王ではなく民衆の視点から歴史を見てみたりすると、今まで知っていた歴史もまた違った歴史に見えてくると思います。

歴史は「勝者の歴史」や「王様の歴史」だと言われることがあります。確かに、史料の制約からそういった傾向は存在しますが、歴史家はそれ以外の視点からの歴史を開拓しようと努力しています。人間の本質や価値の多様性を学ぶためには、支配された側や敗れて去った側から見た歴史も併せて学ぶことが重要だと考えるからです。

このように、「もうひとつの歴史」という視点から歴史を見ることができるのが、海賊史の大きな特徴なのではないでしょうか。

TLG GROUP編集部:ありがとうございます。最後に、桃井教授の著書である『海賊の世界史:古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで』(中公新書)のご紹介をお願いいたします。

桃井教授:先ほどお話した通り、海賊の歴史には一般的な歴史は異なる視点から世界史を眺めることができるという特徴があります。

この本では、古代ギリシアから大航海時代、近現代までの海賊の歴史を辿っています。今回お話しした海賊以外にも様々な海賊や人物が登場します。

海賊という存在を通して世界史を見直し、私たちの歴史に対する解釈をあらためて考えてみるためにも、海賊史という「もうひとつの世界史」について興味を持っていただけたら嬉しいです。

まとめ

TLG GROUP編集部:本日はお時間をいただき、ありがとうございました。桃井教授にインタビューをして、以下のことが分かりました。

独自インタビューで分かったこと
  • 海賊は時代背景によって異なる特徴を持っており、時には国家公認の存在でもあった。
  • 海賊は単なる略奪者という側面だけでなく、国民的英雄として慕われたり、下層階級の権利を保障するコミュニティとして機能していたりした。
  • 海賊社会では厳格な掟が定められており、非常にしっかりとした秩序のもとで組織が構成されていた。
  • 海賊文化は現代のコスモポリタンと重なる部分もあり、様々な文化的背景を持つ人びとの集まりでもあった。
  • 海賊史を学ぶことによって、一つの視点からではなく多数の視点から世界史や人間の本質を捉えることができる。

海賊は単なる略奪者ではなく、交易や文化交流の重要な担い手でもあり、時には国民的英雄として歴史に多大な影響を与えてきました。

海賊たちの歴史を新たな視点から探ることで、私たちは歴史を多角的に捉え、世界史を再評価することができるようになるでしょう。

海賊史についてより深く知りたい方は、是非桃井教授の著書を読んでみてはいかがでしょうか。未知の歴史の海を海賊と共に渡り、新たな発見に満ちた旅を楽しんでみてくださいね。

取材・文:TLG GROUP編集部
記事公開日:2024年6月26日